小話の小部屋

ふらっとみていただければ

向き不向き

 

先月頃から個別塾の塾講師のアルバイトを始めた。

飲食のバイトに比べ、やりがい、上司の雰囲気、その他もろもろが全て上回っていて凄く楽しい。担当の生徒も既に何人も付いた。

 

こっちのアルバイトの方が確実に向いていた。

これは間違いない。

 

何より明確なゴールがあるのが良い。

受験生の生徒はやはり志望校合格、それ以外の生徒も定期テストの成績向上という明確な目標がある。

目標達成のためには何が必要なのか、具体的にどのようなことを指導すればよいのかを考えながら日々働いているので得られるものはかなり多い。

正直飲食のバイトは何をモチベーションにすれば良いのかわからなかったし、同僚との会話でも得られるものは何もなかった。

 

このように人には向き不向きがあるらしい。

向いているものはもちろん続けるべきだし、極めるべきだとも思う。

向いていない、苦手なものにも触れてみるというのもかなり大事なことだと思う。

 

結局何かの良し悪しを決めるのは相対的な評価によるものだ。

いろいろなものに触れ、自身について知るための材料を今のうちに集めたほうが良い。

失敗が許されるのは今だけだし、すぐに辞めることが出来るのも今だけだから。

例え苦手なものでも自身の長所を知れるチャンスにも成り得る。

 

とにかく今はせっかく見つけた自分の天職(言いすぎかな)を極め、そのさきに見える世界を早く味わいたいと思う。そしてこの先のキャリアを考える大きな機会にしたいと思う。

 

その次にやりたいのはyoutuberかな。

全世界に無料で発信できるこのツールはよくよく考えてみればこの上ないビジネスツールであることは間違いない。

が、リスクが大きすぎるので手が伸びない。

転職先は何でもいいってわけではなさそうだ。

 

 

 

 

依存

 

「好きな異性のタイプは?」

 

僕はこの質問が嫌いだ。

多くの人が自らが言ったタイプではない異性と付き合うため、不毛な質問だと思ってしまうからだ。

 

恋愛というのは多くの部分はタイミングが占めていて、理想はあくまで理想のままである場合が多い。

僕はそう思っている。

 

しかし、結局人は依存する場所を探している。

恋愛、趣味、仕事... 何でも良いが、人は何かに取り憑かれることで幸福を得ていると感じるのである。

ある意味宗教の存在意義というのも同じ考え方に基づいているだろう。

 

逆に言えば、人は依存するものが無ければやっていけないのである。

 

自殺をしてしまう人は、自身が重度に依存するものに裏切られてしまったからであり、自身にはもう何も無いと錯覚してしまうからなのではないかと思う。

 

恋愛に的を絞ってみると、自分の理想というのはいわば自身の依存するところであり、恋愛自体を豊かにしてくれる。

タイミングだけでパートナーを選んでしまった場合、理想とかけ離れてしまうと長くはもたないだろう。

 

依存しすぎてしまうのも良くないことだが、恋愛に限らず、物事を豊かにしてくれるのは何かに依存、固執することなので、ある程度妥協しないということも重要なのではないかと思う。

 

あまりにも妥協しないと筆者みたいになるので注意が必要だが。

 

 

 

才能

 

夢を持って努力している人は素敵だと思う。

 

いつも活気に満ちていて、目標に向けての行動がはっきりしているからだ。

 

自分にはそれができない。

自分の将来像が未だにぼんやりとしていて、何より気持ちの体力が無いからだ。

 

他人と比較してしまう悪い癖のせいか、そういう人と話すと疲れてしまう。

それが今の僕の悩みだ。

 

自分に何かの才能があれば...

 

つくづくそう思うが、残念ながらそのようなものは持ち合わせていない。

 

しかし、この様な状況をいつまでも引きずってはいけないとは思う。

凡人だからこそ継続して努力をしなければならない。

 

そう思ってはいるが、なかなか心がそういう方向に向かない。

 

本当に自分の気持ちの弱さが情けない。

明日から身体から動かしてみようと思う。

 

 

均衡

 

明日で実家がある長野から名古屋へ帰る。

本当はもう少し長くいようと思っていたが、急用ができたので帰ることにした。

 

向こうに戻ったら何をしようか…。

短期バイトを探して、向こうの仲間と飲んで…。

 

大学生の夏休みはやたらと長くて困る。

約二か月弱、課題も宿題もない。

だからこそアルバイトや、旅行に時間をかけるべきだとは思っている。

 

しかし、この前居酒屋のアルバイトを辞めた。 

一度に何個も仕事をこなすことが苦手なのと、先輩の金髪お姉さんが怖かったからだ。

 

辞めてみれば急に気分が明るくなった。

 

今まで嫌いだった旅行にも行きたくなったし、こうしてブログを書きたくもなった。

少し性格が明るくなった気がした。

 

今まで嫌いだった旅行のためにお金を稼ぐのは少し皮肉に思えるが、今はそのつもりだ。

「嫌なことでも耐えて頑張り続ければ、何かしらの見返りはある。」

僕は両親からそう言われてきたし、それを実行してきた。

 

確かに間違いではない。

が、何でもそれが一番いいとは言えない。

かといって逃げ癖をつけてもいけない。

要は何事もバランスが大事なのである。

 

多分これからやる短期バイトも嫌になるだろう。

そして旅行に行く気も失せ、何のためにバイトをしているのか分からなくなるだろう。

 

とりあえず名古屋に帰ったら寝よう。

 

 

 

 

 

 

 

 

(浪)人

 

突然だが、僕は文章が大の苦手だ。

受験生時代に受けたセンター国語で大失敗し、浪人。

おまけにメールやその他SNSのやり取りもおぼつかない。

 

この状況は流石にマズいと思い、本を読もうと思った。

「最初は小説?それとも評論文?」

迷いに迷ったが、結局は読書嫌いな僕でも読めた短編集(エッセイ)を選んだ。

何かと影響されやすい僕は様々なエッセイを読み、ここでエッセイ(なるもの)を綴っているのである。

 

多分誰も見てくれないだろう。でもそれでもいい。

とにかく自分が世間に向けて何かを発信しているという感覚が欲しい。

あわよくば自分の綴る些細なことを見る人が何かを思ってほしい。

要するに、いろんな人に見てほしい。

 

僕は自分の言ったことに責任を持てないのである。

時に相手の顔色をうかがい、その場しのぎで都合のいいことを言ったり。

時に女の子の前で思ってもない男のポリシーみたいなのを語ってみたり。

 

結局はふとした言動で嘘だとばれてしまうのに。

 

だからこのブログで本音を言うことで、ある意味嘘つきな自分を戒めたいのかもしれない。

 

このブログにもしもたどり着く人がいるとしたらどのような人だろう。

大学生?受験生?それとも…

とにかく、ここに訪れた人をどこかモヤモヤさせるようなそんなブログにしたい。

 

ここで終わるのもなんなので、もうちょっと思ったことを綴ろうと思う。

 

上でも綴った通り、僕は一年間の浪人を経て名古屋市内のある大学へ入学した。

一年間の浪人生活は本当に地獄のようだった。

 

成績は常に他人と比較され、朝から晩まで机に向かう。

成績が中々伸びないことへの焦りや、先が見えない不安。

 

何よりも辛かったのが、一年間必死に勉強したとしても第一志望に合格する保証はどこにもないことだ。

小中学校のように過程が評価されることなど一切ないのだ。

 

「社会に出ればそれが当たり前。」

という意見が大半だろうが、これが初めて経験する大きな壁であったことに変わりはなかった。

しかしなんとか合格して、思ったことがある。

 

結果を伴って初めて過程を見てもらえるのだと気づいた。

 

過程は決して軽視されるものではなく、結果に付随するものなのだ。

このことに気づけたのは長くて辛い一年間で得た財産だと思う。

 

話があちらこちらに脱線してしまったが、とりあえずこのように自分の思ったことを発信していこうと思う。

 

ゆっくりでもいいから文章に強くなれるといいな。