小話の小部屋

ふらっとみていただければ

(浪)人

 

突然だが、僕は文章が大の苦手だ。

受験生時代に受けたセンター国語で大失敗し、浪人。

おまけにメールやその他SNSのやり取りもおぼつかない。

 

この状況は流石にマズいと思い、本を読もうと思った。

「最初は小説?それとも評論文?」

迷いに迷ったが、結局は読書嫌いな僕でも読めた短編集(エッセイ)を選んだ。

何かと影響されやすい僕は様々なエッセイを読み、ここでエッセイ(なるもの)を綴っているのである。

 

多分誰も見てくれないだろう。でもそれでもいい。

とにかく自分が世間に向けて何かを発信しているという感覚が欲しい。

あわよくば自分の綴る些細なことを見る人が何かを思ってほしい。

要するに、いろんな人に見てほしい。

 

僕は自分の言ったことに責任を持てないのである。

時に相手の顔色をうかがい、その場しのぎで都合のいいことを言ったり。

時に女の子の前で思ってもない男のポリシーみたいなのを語ってみたり。

 

結局はふとした言動で嘘だとばれてしまうのに。

 

だからこのブログで本音を言うことで、ある意味嘘つきな自分を戒めたいのかもしれない。

 

このブログにもしもたどり着く人がいるとしたらどのような人だろう。

大学生?受験生?それとも…

とにかく、ここに訪れた人をどこかモヤモヤさせるようなそんなブログにしたい。

 

ここで終わるのもなんなので、もうちょっと思ったことを綴ろうと思う。

 

上でも綴った通り、僕は一年間の浪人を経て名古屋市内のある大学へ入学した。

一年間の浪人生活は本当に地獄のようだった。

 

成績は常に他人と比較され、朝から晩まで机に向かう。

成績が中々伸びないことへの焦りや、先が見えない不安。

 

何よりも辛かったのが、一年間必死に勉強したとしても第一志望に合格する保証はどこにもないことだ。

小中学校のように過程が評価されることなど一切ないのだ。

 

「社会に出ればそれが当たり前。」

という意見が大半だろうが、これが初めて経験する大きな壁であったことに変わりはなかった。

しかしなんとか合格して、思ったことがある。

 

結果を伴って初めて過程を見てもらえるのだと気づいた。

 

過程は決して軽視されるものではなく、結果に付随するものなのだ。

このことに気づけたのは長くて辛い一年間で得た財産だと思う。

 

話があちらこちらに脱線してしまったが、とりあえずこのように自分の思ったことを発信していこうと思う。

 

ゆっくりでもいいから文章に強くなれるといいな。